九州のこまとは

九州の和ごま

独楽(こま)は世界各地に見られ、その歴史も古いです。

日本には大陸から朝鮮半島を経由して伝わっていたと考えられており、平安時代ごろには存在していたと考えられています。宮廷の儀式などに用いられていたこまは、南北朝時代の「太平記」に一般の庶民のおもちゃとして広まっていた様子を伝える記述が見られます。

手回しこまや投げごまなど、さまざまなタイプの和ごまが登場するのは江戸時代。
全国各地で、その土地に根ざした和ごまが誕生していきます。九州では、芯棒に鉄の芯を使ったこまが発展し、佐世保こま、肥後こまなどが生まれます。その鉄芯のこまで最も有名なのが、博多こまです。

回転寿命がとっても長い博多こまは江戸時代、和ごまに革命をもたらした存在とも言えます。こまを使って曲芸を見せる「曲ごま」は、博多こまを使って誕生したとされます。博多こまと形は一緒で、中央に出っ張ったへそのあるものが、八女ごまです。

こまの色付け

八女こまを作る日本で唯一の工房です。八女こまなどの九州の和ごまの材料となる木材は、マテガシ(樫)。とても硬くて粘りのある木です。

和ごまは、屋外や室内で数年乾燥させたマテガシを荒削り。ろくろで回し、ノミなどで手削りして成形します。専用布やすりで磨いて手触りを良くし、色付けへ。ろくろ付きのテーブルの中心に和ごまをセット。回る和ごまの上に、2人1組で色を乗せていきます。出来上がった和ごまは美しい色彩と輝き。おもちゃでありつつも、優れた民芸品と言っても過言でありません。

昭和の時代は当たり前のようにいた和ごまで遊ぶ子どもは、ほとんど見られなくなりました。さらに、和ごまの材料となるマテガシの原木の減少に加え、鉄芯をつくる職人もいなくなるなど、和ごま業界を取り巻く環境は年々厳しくなっています。

それでも、国内で唯一の八女こまを製造する隈本コマでは、和ごまをつくり続けていきます。
今、日本で1番回しやすい投げごまを目指して作った「ラクコマ」など新しいこまを開発し続けています。
和ごま文化を子どもたちに伝えていくためにーー。
隈本コマでは今後も、和ごまの未来につながる商品開発に挑んでいきます。